
医療&介護の仕事をしていたら、なにかと高齢者と接する機会が多いですよね。
そんなとき冗談交じり?に

早くあの世に行きたいわー
なんてことを言われたこともあるのでは?
こんにちは。
柔道整復師&鍼灸師として医療機関で約10年、現在は介護施設に勤めるkenny(ケニー)です。
今までいろいろな患者、利用者と接してきて時々考えてしまうんですよね。
「この人はホントに幸せなのか?現状を受け入れているのか?」
なんてことを(優生思想ではないでのあしからず)
「たかが柔道整復師ごときが!」
とおもったアナタへ。
医師の診察時間よりも「長く患者さんと接している」のをお忘れなく。
そんなことを思っていたら最近、こんなニュースが世間を騒がせていました。
医師2人による安楽死(嘱託殺人?)です。
個人的には亡くなった方の意思が尊重されるべきと思っています。
(金銭の受け取りはNG)
現在の日本では安楽死(積極的自殺)は法的には認められていません。
かわりに尊厳死(消極的自殺)が現在の日本で主流(いわゆる緩和ケア、終末期医療)となっている印象です。
このまま安楽死を認めない未来はどうなるのか?
結論から言ってしまえば
本来生きるべきヒトが「自ら死を選ぶ」ことになる
と予想します。
介護心中は年々増えている
内閣府の自殺統計によれば、2007年から2015年の9年間に「介護・看病疲れ」を動機とした自殺者数は2,515人、そのうち年齢が60歳以上の者は1,506人で、全体の6割を占めている。統計がとられるようになってからまだ10年も経過していないが、この間に介護・看病疲れによる死亡がこれほどまで多く発生していることに驚かされる。
nippon.com 日本における介護殺人の現場と今後の課題より引用
これから介護心中が増える可能性はあるでしょう。
(以下のリンクは老々介護のケース)

今後の日本では80-50問題がいよいよ現実化。
(以下のリンクは子が親を殺害したケース)

高齢者を介護する立場になる年代はどういったものでしょうか?
といわれたら「就職氷河期世代」
まともな収入を得る機会が失われた世代ともいえますね。
ただでさえ経済的に困窮している状況で、親の介護が必要になったらハッキリって残酷じゃないですか?
介護する側は体に問題がないということで生活保護も申請できない…
となると
- 生活が破綻
- 終わりの見えない親の介護
- 相談してもまともに取り合ってもらえない
安楽死が認められないのであれば、介護殺人にくわえて介護心中を選択する人が増えるのでは?
安楽死を認めれば「ひとりの命」は助けることができる?
橋田壽賀子さんの書籍:安楽死で死なせて下さいで書かれいていたことですが、神奈川県で起きた老夫婦の介護心中にたいして
こんな悲劇、いったい何度目でしょうか?どうすれば防ぐことができますか?
”安楽死で死なせて下さい”より引用
無理心中で二人の命が失われるまえに、奥さんの命だけでも救うことはできなかったのですか?
と書かれていました。
「ひとりの命を尊重した結果、二人の命が失われる」なんてのはオカシイですよね。
ちなみに書籍では「経済的困窮」を理由に安楽死を認めてはいけない、といった内容も。
貧困が原因になってはダメ
”安楽死で死なせて下さい”より引用
安楽死の制度ができると、経済的に自分を邪魔だと考える人が死にたがるようになるかもしれません。
介護される側が重度の認知症やガンや難病で末期の状態のため、結果として家族、身内が経済的困窮になるのでは?
7割以上の人が安楽死に賛成している
安楽死制度の賛否の世論調査では安楽死だけでも国民の7割以上の方が、尊厳死も含めると8割以上の方々が「賛成」しているにも関わらず、日本社会ではタブー視されており、政治家は一切口にしない。よって国会でも議論すらされない状況です。
安楽死制度を考える会 基本理念より引用
※世論調査については、2010年に朝日新聞がおこなった「死生観に対するアンケート」によるものと思われます。
「生きることが正しい」という風潮
これって正しいと思いますか?
ヒトそれぞれ意見があって当然と思います、
でもね
こういった意見をしているヒトはある程度恵まれた環境にいるからいえることでしょ?
(もちろん本人が努力した部分は否定しません)
「生きることが正しい」といわれても他人の価値観、あるいは医療従事者の意見でしかない。
当事者にとっては「生きること」への押し付けじゃないですか?
社会や他人に頼るべきとはいうけど…
必ずしもみんなが同じようにできるわけではない。
制度もいろいろあるけれど「情報」がなければ何もできない。
頼れる身内や家族がいるとは限りません。
この国は社会的弱者や情報弱者には厳しいのが現実。
そもそも仕事と介護で目一杯になっているヒトが情報を得ることはムズカシイ。
かりに頼ったとしても生活保護などは門前払いされるのがデフォ。
以下、ヤフーのコメント欄より引用


難病を患ったりや経済的困窮に陥っても同じことがいえるのか?
そのような状況から全員が這い上がれるとは思えません。
個人の意思は尊重されない理由はどこにあるのでしょうか?
安楽死を認めない理由の一つ?
誤解をおそれず発言するなら「延命治療」などを行うことで得をする人もいますよね。
君は回復の見込みがない老人を、数か月延命するためだけに何千万もの国民の金を使うのか?
(主人公の指導医 白鳥ドクターのセリフ)
といった内容が描かれていました。
察しのいい方ならわかっていたと思いますが、延命治療などを行えば大きなお金が動くのです。
少し古いですが平成14年時点で厚生労働省の資料によると

1人当たりの終末期医療費の平均額は、総額で112万円
亡くなる1ヵ月前までにかかった医療費を終末期医療費として計算
厚生労働省HPより引用
国民医療費は約42兆円のうち約9000億円が終末期医療費として使われていることに。
さらに今後も多くなっていくことは誰もが予想できることでしょう
倫理感は時代とともに変わる
こんな話をすると「生命倫理がー」とかいうけど時代を振り返ってみると
- 戦国時代→切腹
- 太平洋戦争時代→神風特攻隊、回天部隊(人間魚雷)
かつての日本では死ぬこと=美学だったんですよね。
戦争時代では「この死にぞこないが!」なんていわれることも。
奇跡的に生還した「回天」搭乗員が語った「死にぞこない」の葛藤
この戦争で、日本のために死ななきゃいかんな、というのは私たちの自然な感情でした
でも現在は死ぬこと=悪、敗者みたいになってますよね?
”ブラックジャックによろしく”第7巻にてDr.宇佐美のセリフ
死は敗北なのでしょうか?
生き延びることが勝利で死ぬことが負けだとしたら、人間は負けることしかできない生き物なのでしょうか?
このセリフから、どのように感じるでしょうか?
臓器移植も昔は認められていなかったけど、今はあたりまえのように行われている。
倫理感は時代とともに変わるのです。
まとめ 安楽死という選択肢はあってもいい
安楽死が認めれれることで介護殺人、介護心中が減る可能性は高いでしょう。
安楽死という選択肢、もっといえば「死ぬ権利」が認められてもいいハズ。
倫理感は時代とともに変わります。
ヒトの生き方も時代とともに変化する必要があるが求められるのでは?
10年後、20年後には日本でも安楽死が当たり前のようになっているかもしれませんよ。
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